私は、ツイッターで人生が変わった一人なんですね。
ツイッターのおかげで、たくさんの人に知ってもらえたし、応援してくれる、心の形が似ているみんなと出会うことができたから。
そのことに、深い感謝を感じてます。
10年前、日々の生活に疲れ、すり切れた気持ちで生きていた私は、もしあの時ツイッターがなかったら、悶々とした日々を、今でも送っていたかもしれません。
だからこそ、あの青い鳥のマークに、「さえずり」を意味する「ツイート」と言う言葉に、人並み以上の愛着を感じていました。
10年もの歳月にわたって、毎日続けられたことって、ツイッターだけかも知れないです。
夜な夜なツイッターに出没して、投稿するのが楽しみで、絵を描いたり詩を書いていたので、まさに自分を育んでくれた、インターネットの「母なる海」と言っても良いくらい。
たくさんのものを与えてくれた場所でした。
初期のツイッターって、みんな手探り状態だったから、本当に面白かったなって、今だに思うんです。
今はまたちょっと空気感が違うと思うんですけど、あの頃、肩書きも性別も外見も年齢も、何にも分からない人と、ツイートだけで知り合っていく感覚は、本当に刺激的でしたね。
ツイートから透けて見える、その人の価値観を見て、それだけで繋がっていく。
それまでの社会には、こういう繋がり方ってなかったと思うんです。
まるで衣装を脱ぎ捨てて、心と心だけで会話しているような。
そんな錯覚を覚えるくらい、私にとっては特別な体験でした。
それに、本屋さんに並んでいる本とか、著名人の文章とか、そういうメジャーな言葉の世界とは違う、もう一つの文学的な世界が広がっていたと思うんです。
何気ないみんなのつぶやきの方が、私には面白く感じられました。
16時になると一斉に、詩の投稿がタイムラインを埋めていく、「4時ポスト」とか。
深夜0時になると「よるほー」とツイートして、深い時間の会話を楽しんだり。
言葉にラフな感情がのっていて、キラッと輝く個性やジョークが文字の上にあふれていて、独特な文化を作っていたと思います。
「〜なう」って言葉がありましたけど、まさにその「今ここに生きている」という感覚が、楽しかったし、私を夢中にさせてくれました。
風の時代の感覚
思い返せば、私が今まで生きてきて、居心地が良くて夢中になったものって、常にこの感覚を覚えるものなんですよね。
若者たちがD.I.Y(Do It Yourself)で、それまでの飲食店の常識を打ち破って、個性的な個人経営のカフェ文化を、創造していった時だったり。
それまでの宿泊業の常識を打ち破って、旅人あがりのオーナーさん達が、ゲストどおしが交流できる「ゲストハウス」という文化を、創造していった時だったり。
振り返ってみて、私はあの感覚が、ずーっと好きなんだと思うんです。
思い出すだけで、ワクワクしてくるくらいに。
そしてそれって、「星読み」になった今の私の視点からすると、まさに「風の時代」の感覚なんじゃないかなって思うんです。
既存の権威や仕組みにすがるのではなく、それぞれが個性を発揮して輝いて、面白いものを創造して、個人個人で繋がっていく。
私は「私以上でもないし、私以下でもない」と言う、等身大の風通しの良い姿で、リスペクトを贈り贈られながら、人と人とが出会っていく。
時代の節目に、ツイッターが「X」に変わると言う出来事が起こっているわけなのですが、SNSがこの先どうなっていくかは、未知数ですよね。
身近な生活情報を得る場所でもあったので、不安な気持ちの方もいると思います。
でもきっとまた、この風通しの良い感覚を感じさせてくれる、別の何かが、これから現れて来るのではないかと、思っています。
それはもうSNSである必然性もない、という気もちょっとしますし。
何かが役割を終えていく時、別の新しい何かが生まれ、時代の中で意義を与えられて、羽ばたいていく。
新しいムーブメントは、いつもどこかで始まっている。
「風の時代」は、幕が開いたばかり。
私も「星読み絵描き」で、その新しい時代の到来を、一人でも多くの人に伝えられたらと思っています。
心に搭載されてる「ワクワク」センサーはうそをつきませんからねー!
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
Thanks!