
スマホやネットがなかった時代の、時間の過ごし方って覚えてますか?
あの頃って、雑誌や偶然手に取った本が、未知の世界への入り口だった気がします。
わずかな挿絵や、今の時代に比べたらはるかに解像度の低い写真といった、心もとない情報。
クチコミレビューなんてなかったので、それが正しいのか間違っているのか判断しようのない情報。
記事を書いた人の、個人的な想いで書かれた文章を、食い入るように眺めて、想像を膨らませていた気がします。
情報が少ないからこそ、自分の中で好きなように解釈できたし、頭の中でイメージを、いくらでも膨らませることができる余白があって。
そこに、創造性と楽しさがあったと思います。
ある意味それは、とても個人的な妄想になっていたと思うんです。
他人と分かち合う必要のない、客観的な指標に惑わされない、純粋で個人的な想像の世界。
そんなユートピアを、誰もが内側に秘めることを許されていた気がします。
振り返って思うのは、私にとっては、そういう個人的なユートピアが、今でも創作活動の源泉になっているということです。
それは、大人の手垢にまみれた世界からの脱出口にもなっていて。
「あー世の中に疲れたなー…」と思ったり。
「大人の着ぐるみ脱ぎたいなー…」と思った時。
その脱出口からスルっと抜け出して、自分のユートピアに、ひとり想像の羽を広げて飛び立つこと。
それが私にとっては、心のバランスを保つために必要なことだったりします。
秘すれば花
S N S時代になってから、なんでもあけすけになり過ぎてしまった気がするんです。
知らなくていい情報を知ってしまうし、胸に秘めていればそれで済むようなことが、あけすけに語られ、不要な対立を生んでしまっているような気がします。
自分のユートピアは、自分の内に秘めておければ、それで良いものだと思うんです。
関係のない他人に、さらけ出す必要のないものだと思います。
ことさらアピールするようなものでもないと思います。
「秘すれば花」という古い言葉に、今とても惹かれています。
表に見せないからこそ、それが特別なものになるし、人目を避け自分の内側で大切に抱くからこそ、そこに深みが生まれる。
自分のユートピアを持っている人って、この「秘すれば花」のスタンスを、実践している人のような気がします。
同じ感性を持った相手にだけ、分かってくれる相手にだけ、その扉をチラっと開くことができれば、十分なんじゃないでしょうか?
匂わせるだけで、同じ嗅覚の人はわかるし、秘密の花園を探り当てることができるはずです。
春風にのって

この作品をオーダーくださったHさんは、森の小さな生き物たちを愛でる心の持ち主です。
自然の声に耳を傾けることができる方で、きっと妖精を見つけられるような豊かな感受性を、大人になっても忘れていない方です。
作品をお渡しした時、Hさんはお代とは別に、宝箱からどんぐりを取り出して、私に分けてくださいました。
私が大きなどんぐりへの憧れを持っているということを、Hさんは知ってくれていたんです。
ちょっと、どんぐりを運んで走る小さな「トトロ」を思い出しました…(笑)
Hさんは現実社会で、仕事をバリバリ頑張っている方です。
でもハードな毎日の中でも、瑞々しい感受性を失わずに、ご自身の人生の物語を一歩一歩、前に進めている方です。
きっとHさんにとって、こうした妖精たちの住む世界は、心の中の休憩所であり、ずっと共にある大切なユートピアなんだと思います。
私の作品が、そのユートピアへの秘密の入り口になったらいいな、という想いをこめて、この作品を描かせていただきました。
この作品をオーダーくださったHさんに、あらためて感謝してます!
Thanks!