
たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画には、分かる人にしか分からない「暗号のような意味」が隠されていたりする、と、まことしやかに語られたりします。
「ダヴィンチ・コード」と言う映画を観たことがある、と言う人もいると思います。
ああいう時空を超えた謎解きが、絵画の中で、できちゃったりするわけです。
絵を解読すると、隠されたメッセージが浮かび上がる。
パッと見ただけでは分からない秘密が、絵の中に秘められていて、それが何百年もの時を超えて、現代にもメッセージを運んでくる。
真偽のほどは分かりませんが、こういう話って、ちょっとワクワクしませんか?
こんな話を聞いてから、美術の教科書に出てきたダヴィンチの絵をあらためて目にすると、それまでとは全く違う印象で、見えてきたりすると思うんです。
別世界への入り口
絵を見る時、絵画を「外から見る視点」に、囚われてしまっている人が、多いと感じます。
写実的な意味で、上手い下手という基準だったり。
遠近法を上手く使って、立体的に表現できているか、というリアリティの出し方だったり。
構図や色彩のバランスが整っているかどうか、だったり。
絵を絵として、「外から客観的に見る見方」をしちゃってると思うんです。
たとえるなら、リンゴを舌で味わずに、外から見た果実の大きさや形、色ツヤで品評するような感性です。
義務教育で刷り込みされたであろう、絵の見方ですね。
こういうのも、美術鑑賞の方法の一つだとは思いますので、否定はしません。
でもこれってあくまで、一つの見方でしかないんですよね。
この「色眼鏡」を外すと、そこにはもっとずっと深くて広い、めくるめく絵画体験の世界が広がっている、と私は常々思っています。
ダヴィンチの絵に秘密が隠されているように、本当は絵って見方によっては、もっと深みのある面白いものなんです。
実は、私たちの祖先が楽しんできたアートって、もっと絵の中に入り込んで、絵の中にある物語を「主観的に体験する」ものだった、と思われるんです。
鑑賞者が想像力を使って、絵の中に入り込んで行って、絵の世界を「内側から体験する」ことに、意味があったはずなんです。
宇宙の仕組みを伝えるために作られた、仏教画だったり、禅の思想を伝える墨絵だったり。
こういう「絵の中に入って見る見方」をしないと、絵の真価を測ることができないアートって、実はたくさんあります。
むしろ、こちらの方が人間にとっては、自然なアートの形なんじゃないかなーと、私なんかは思っちゃいます。
だって、みんな子供の頃はそうやって、絵を「別世界の入り口」にして、遊んでいたはずだからです。
大人はもう忘れちゃってるかも、知れないですけど。
でも、きっとこの「絵の中に入って」遊ぶ感覚は、誰しも思い出せるものなんじゃないかな、と思うんです。
私の絵に何かを感じてくれる方は、きっと思い出せるはずです。
絵は時空を超える「時の扉」であり、想像力を使って現実世界から飛び立つための「エアポート」なんです。
そうやって考えると、なんだか子供心がよみがえって、ワクワクしませんか?
天上の約束

この作品をオーダーくださったHさんは、私のこうした絵画に対する(ちょっとクセがあるかも知れない)考え方を、深い部分で理解してくださっている方です。
Hさんは、私の作家活動の初期から、ずっと応援してくださっていて。
私がどういう風に、絵描きとして進化して来たか、作品世界を広げてきたか。
その歴史を体験して、知っているんです。
毎回、東京個展の最終日の最後の時間は、Hさんとお話ししていたような気がします。
だからこそ、そんなHさんが、星読みをオーダーしてくださった時に「motocchiさん、面白いものを見つけましたね!」と、おっしゃってくださったことに、とても私は背中を押されたのを、今でも覚えています。
この作品は、Hさんのお孫さんのお誕生記念、として描かせていただいた作品になります。
久しぶりの大きなキャンバス作品ということもあって、思う存分に、腕をふるわせていただきました。
星読み絵描きとしてやってきたこの2年間の、ある意味集大成といえる作品になったのではないかと、私的には思っています。
お孫さんがこの絵を見ながら成長して、10年・20年経った時を想定して描いたので、絵を描いているというより、「時の扉」をこしらえているような感覚でした。
ダヴィンチ・コードならぬ「モトッチ・コード」を、たくさん盛り込ませていただきました(ムフフ!)
ご家族の繁栄を見守る「時の扉」が、ここに完成したのではないかと思ってます✌️
この作品をオーダーくださったHさんに、あらためて感謝してます!
Thanks!