いつも笑顔でいる人の心が、いつも明るいとは限らない。
その笑顔は自分を励ますための、ファイティングポーズだったりするからね。
笑顔の裏側にも涙の裏側にも、色々な感情があるものだよね。
たまにツイッターに、こういう感じのメッセージを投稿することがあります。
マンガ的な分かりやすさが、求められがちな現代社会。
外側に表現されているものだけで、人を短絡的に判断してしまうことだったり。
自分で設定したキャラクターの枠に、自ら囚われてしまうことだったり。
そういうことって、往々にしてあると思うんです。
でも本当はみんなもう、そういう表面的なものでは、自分も他人も何も語れないと言うことに、気がついてるんじゃないでしょうか?
インスタの写真やコメントだけでは、実際のお店の良さや味が分からないように。
着飾った姿や、社会的なステータス、SNSのフォロワー数とか、いいね数では、その人の本質を知ることはできない、という事に気がついてきているんじゃないでしょうか?
人って単純ではなくて、陽気に見える人の内側に、深い憂いがあったり。
ぶっきらぼうに見える人の心の中に、優しさや温もりがあったり。
何一つ不自由のない、恵まれた生活を手にしているように見える人が、満たされない想いに苦しんでいたり。
そういうものだと思うんです。
しばしば自己矛盾していて、それでいて不思議なバランスで成り立っているのが、人間の個性なんだと思うんです。
「だって人間だもの」という、相田みつをさんの名言がありますけど、そう言うしかないし、それを許容できるのが「人間」という存在の面白さなんだと思うんですよね。
自分で自分にレッテルを貼って、がんじがらめになってしまっている人を見るたびに、変わってもOKなんだけどな、と思います。
というよりも、自分の認識とは関係なく、自然に変わって行ってしまうのが人間なんだと思うんです。
太陽星座の変遷と、陰陽の変化
人の内面が自然と変化していくことを、占星術の観点から考えてみると、面白いなーって最近思ってます。
占星術で使う十二星座には、それぞれ陰陽の割り当てがあります。
陰陽とは、外向的なエネルギー(陽)と、内向的なエネルギー(陰)との対比としてとらえてくださいね。
たとえば私は、太陽星座「水瓶座」なのですが、水瓶座は外向的なエネルギーが強い「陽」の性質です。
水瓶座の次の「魚座」は、内向的なエネルギーが強い「陰」の性質です。
こんな風に十二星座それぞれに、陰陽の割り当てがあります。
ここから本題に入りますけど
生まれた時点のホロスコープでは、あなたの太陽は、あなたの太陽星座に入っています。
そこからあなたの太陽は、一年に一度ずつホロスコープ上を進行していきます。
そうすると、あなたの人生が経過していくにしたがって、あなたの太陽は、人生で3つから4つの星座を通過していく事になるんです。
これは「プログレス」という考え方なんですけど、一年経過するごとに太陽が一度進んでいく、というホロスコープの見方です。
(ちょっと難しいという方は、星座が変わっていくんだなーくらいでOKですので、読み飛ばしてくださいね。詳しく知りたい方は、星読みをぜひご依頼ください!)
これを陰陽の観点でとらえると、けっこう面白いんです。
私を例にすると、私の太陽は「水瓶座(陽)」からスタートして、長い間、「魚座(陰)」に入っていたんですけど、つい最近「牡羊座(陽)」に入った、という流れがあります。
私の陰陽の履歴書
私の幼少期は、それこそ明るく活発な子供だったそうです。
今の私からするとウソみたいな話ですけど、その頃の写真は、ほとんど変顔&ピースで写っているくらい、、(笑)
「陽」のエネルギーを周囲に発散していた様です。
学生時代、私の太陽が「魚座」に入った頃から、性質が徐々に変わっていきました。
外側に表現される性質は「陰」に変わっていきました。
「魚座」のエネルギーが覆いかぶさって来るように、文学や音楽の世界に、どっぷりひたることを好む様になりましたし、興味をひかれる対象も、健康的で明るいものより、憂いや深みのあるものに変わっていきました。
でも、近しい人たちは分かっていたようですね。
私の「陰」の性質の奥に「陽」の性質が隠れていることは、周囲にはバレていた様です。
言ってみれば、「外陰・内陽」という姿が、そこから30年の私の姿だったんです。
振り返ってみると、それゆえの葛藤がやはりありましたね。
自分自身では「陰」だと思ってるんです。でもやっぱり根っこのところに「陽」があるんです。
着ぐるみを着ている様な、ぎこちない感覚が、どこかでつきまとっていたかも知れません。
自分で一番それを感じたのは、私の中から出てくる絵画の世界が、驚くほど明るくカラフルなものだったことです。
自分で絵を描き始めるまで、私が好んできたアートって、クールでワビサビのあるものだったんです。
モノクロの写真とか、ジム・ジャームッシュ監督の映画の様な、大人びたものを好んでいました。
だから絵を描き始めた時、自分の中からポップで子供の様な感覚の世界が飛び出してくることに、最初は自分が一番驚いていました。
でも自分で止められないくらいの衝動を伴って、「ゴロタ」や「ちっとも」が、私の中から飛び出してきてくれたんですよね。
ある意味、「陰」の性質の裏側に隠していた、内なる「陽」の性質が、出口をそこに見つけたんだと思います。
絵画活動を通じて、私は外側に作っていた「陰」の姿と、内側にもともと持っていた「陽」の性質のバランスを、取ることができるようになっていったんだと思います。
内なる「陽」を認めることで、無理がなくなって生きやすくなっていったんですね。
そして去年、私の太陽は「牡羊座(陽)」に入りました。
30年の月日を経て、「陽」の性質に帰還したんです。
体感としてだいぶスッキリしたというか、自己矛盾している感覚はなくなりましたね。
「私は私」という自分軸の確立は「牡羊座」のテーマなんですけど、自然にそこに向かっている気がします。
「陰」でも「陽」でもいいじゃない。
それが私ならそれでいいんじゃない、というのが、今の私の感覚なので。
こんな感じで、星座占いなどでもおなじみの「太陽星座」も、時間の経過を加えて、自分史という観点でとらえてみると、けっこう面白い発見があるんですよね。
私は「外陰・内陽」の自己矛盾を抱えていましたけど、逆の「外陽・内陰」の方もいると思います。
心当たりがある方は、自分自身をひも解いてみると、面白い発見が待っているかも知れません。
、、ということで、今回も最後まで読んでくれてありがとー!
Thanks!