私がまだツイッターを始めたばかりの頃。
「自分の心を受けとめて、あきらめずに水をあげ続けたら、きっといつか、自分らしい花を咲かせられるよ」
こんな感じのメッセージを投稿したことがあったんです。
その投稿に、否定的なコメントを送ってきた方がいたことを覚えています。
その内容は「それでも、生老病死から人は逃れられないんだよ」というものでした。
「生老病死」というのは、もともと仏教の教えから来ている言葉です。
避けることができない人間の受難を、そう呼ぶそうです。
人はそれにあらがおうとして、かえって執着を増してしまい、この世の苦しみを大きくしてしまいます。
だからこそ心の持ち方を変えて、ままならないことに無理にあらがうのをやめて、執着を手放すことが大事。
そういう考え方を表している、と私は思っています。
その方が、「生老病死」という言葉の深い意味を、どこまで理解して使っていたのかは、わかりません。
でも、私にはもともとの言葉に込められている、清々しいメッセージとは反対の、暗い感情が伝わってきました。
「どうせやったって何も変わらないんだから、あなたも諦めなさい」という、閉塞感の押し付けを感じたんですね。
こうした思考に囚われて、自分の可能性の扉を自ら閉ざしてしまっている人って、悲しいことですが、まだまだいるのだと思います。
そりゃー、そうなんです。
前向きに生きようが、後ろ向きに生きようが、時間とともに人は老いていきます。
人生を歩んでいく中で、苦しみに直面することもあるでしょうし、健康を維持できない場面も、出てくるかも知れません。
そしていつかは、天に召される日がやってきます。
これはマラソンにたとえるなら、10km地点に上り坂があるとか、15km地点に給水所があるとか、32kmがんばったらゴールがあるとか、そういうレベルの話だと思うんです。
たしかに、困難やリスクはつきものですし、スタートラインに立つことへの恐怖心もあると思います。
でも、それでも一歩踏み出さなければ、何も始まらないんですよね。
勇気を出して走り出して、共に走ってくれる仲間と、喜びを分かち合うことだったり。
声援を送ってくれる人に、感謝することだったり。
苦労を乗り越えてゴールした後の一杯の、格別な美味しさを味わうことだったり。
そちらの方が、よほど重要だと思うんです。
自分の心と身体を使って、自分の人生を主人公として生きることにこそ、この世の価値があるのだと思います。
占星術と運命論
自分の人生の年表と、過去の惑星の運行を突き合わせてみると、そこには星と人間の間にある、切っても切れない不思議な関係を、垣間見せられるような驚きがあります。
私は「天王星」という星の影響が強いホロスコープの持ち主です。
天王星は、自由と変革を象徴する惑星です。
この天王星が、年齢と共に進行する、私のホロスコープ上の太陽と、特別に強い関係性を形作っていた時期があります。
天王星の周期を考えると、このレベルの接触は私の人生で一回しか起きないのですが、惑星の運行とホロスコープの進行が合致して、最も強く影響するタイミングがありました。
その時何が起こったかというと、私は生まれ育ったふるさとを離れ、沖縄に移住したんです。
数十年前、沖縄への世の中の注目が、まだそれほど高まっていない頃。
ドラマの「ちゅらさん」が放送される前の話です。
縁もゆかりもない南の島に、なぜあの時、移住しようとする衝動が湧いてきたのか、実は自分でもよく分かってないんですよね。
お婆ちゃんからもらった、お土産のシーサーがお気に入りだった。
ふり返ってみると、移住前の私と沖縄の接点は、ただそれだけなんです。
占星術の教科書に出てくる、進行していくホロスコープ上の太陽と、天王星の接触が表す意味は、ズバリ「場面転換」です。
演劇の舞台が暗転して、次の場面が現れるところをイメージしていただきたいのですが、思わず「ウソーッ!」って思っちゃいますよね。。(笑)
そのまんまなんです。
私はあの時、天王星に導かれるように、自分の人生の舞台を変えたんです。
それは自然な流れだったんですけど、説明がつかない、自分でもよくわからない衝動にかられた結果なんですよね。
こんな風に、自分の人生に起こった大きなイベントを、後から占星術で検証してみると、とても面白いんですね。
多くの場合、そこには何らかの天体の影響が確認できます。
結局は自分次第
ここまで読んでいただいて、こう思った方もいると思います。
「運命という決められたストーリーがあるとしたら。それを占星術で知ったところで、変えられないんだから意味がないんじゃないの?」と。
「だったら、むしろ知りたくないし、決めつけられるのがイヤなんだよね」と。
人の運命は生まれた時にすでに決まっていて、自由意志では変えられない、という考え方を「運命論」と言います。
占星術は、特に古い時代には運命を知る為のツールだったので、「運命論」的な色彩があることは否定できません。
(現代占星術は、むしろ運命論と距離を置いています。自分の可能性を深く知り、人生をより良く生きるために星の力を使う、という方向性になっています)
でも安心してください。
宇宙の意図や惑星の神秘は、人間の想像を遥かに超えたものです。
たしかに後から検証すれば、ホロスコープと星の運行との間に、意味深い関係性を見つけることができます。
でもその影響を、本人が体験している最中に、客観的に自覚することは、かなり難しいと私は思います。
他人事ならいざ知らず。
我が身に起こっている大きな変化の中では、それどころじゃないというのが、本音のところだと思います。
イベントが終わった後で、ホっと一息ついて振り返った時に、その意味をやっと理解できるものだと思います。
それは宇宙から贈られてくるギフトなので、受けとって体験することに、意味があるんです。
箱を開けてみると、試練が入ってたりするんですけどね、、(笑)
でも、先回りして心配したり、あれこれ対策を講じようとすることには、あまり意味がないと個人的には思います。
その体験を自分の人生の中にどう位置付けるかは、結局のところ自分次第なんです。
究極的には、魂にとって必要な体験が、人生の中にはちゃんと用意されているんだと思うんです。
大事なのはそれをどう受け取るか、だと思います。
占星術を使って見えてくるサインやチャンスを、人生にどう活かすかは、自分次第なんです。
星の導きを前向きな心で受け取って、与えられた人生という時間を、豊かな体験にしていくこと。
占星術は、そのためにあると思うんですよね。
今回は「運命論を乗り越える」というテーマで書いてきたのですが、ちょっと難しい内容になっちゃったかも、知れません。
(ゴメンよー🙏)
興味持ってくださった方は、ぜひ「星読み」ご依頼くださいね。
最後まで読んでくれてありがとー!
Thanks!