コラム

コラム「Back In The Day」

絵を描きだしたのは、本当に偶然で。

その時のことを、なんだか今日は思い出したんだ。

そして、記しておきたくなったので、ちょっと昔のこと、書いときます。

(最近自分のこと知ってくれた方には、自己紹介みたいな意味も込めて、書いてみます。)

 

自分はさ、けっこうモラトリアムが長かったクチで、ストレートに社会人になれなかったんだ。

学生時代、ずっと音楽ばっかりやってたから、っていうのもあるけど、なんかズレてたんだよね。

バイトすら、一個も受からなかったくらい。それはそれはひどい状態だった。。笑。

音楽活動も、プロを目指してやってたっていうよりは、音楽をやっている人たちの中にいるのが、楽しかったんだと思う。

学校とかそういう枠にいないタイプの人たちと交流する、そういうのが楽しかったし、自分がそこにいるってことに、小さな優越感を感じてたのかもしれない。アウトサイダーっぽくなれるじゃない?そういう人たちと仲間ってことになればさ。

そういうのに、ありがちだけど、憧れてた。

 

薄っぺらいけど、それがその頃の、せいいっぱいの存在証明。

ぼんやりと、うっすらと、なんとなく、特別になりたかったんだよね、多分。

 

幸運なことに、最初はうまくいったんだ。

求めてくれる人がいて、テレビのCMやったり(ローカルだけどね)、雑誌にちょっと載ったり、ライブのギャラもそれなりにもらってた。

何でつまづいたのか、って今から振り返ったら多分、真ん中が空っぽだったからだと思う。

目的がなかったから、走っているうちにスタミナが切れてたんだよね。

音楽を求めてくれる人の期待を勝手に想像して、縛られて、いつしか楽しかった音楽が、苦しいものに変わってた。

それでも、それしか知らないし、交友関係も含めて、それが生活のすべてだったから、それにすがるしかなかった。

一応ね、最後に何社かレコード会社にデモ音源を送ったりしたんだけどダメで、それで力尽きたって感じだった。

 

だから、学生時代という長い夏休みが終わったら、もう居場所がなくなってた。

ゆるされてきた時間の重みに気がついた時には、もうがんじがらめで「どうしよう。。」て感じになってた。

小さな成功の記憶を捨てられずに、新しい一歩が踏み出せなかった。

自分が受け入れられていない感覚。前に進みたいけど、

自分の変なプライドとか、それまでの時間の記憶がじゃまをして、一歩足を踏み出せない感覚。

 

あの頃はそれを紛らわせるために、よく高台の公園で、一人で時間を過ごしてた。

夜が更けて、街の光がかすんで、まっしろな朝の光に包まれていくのを、ただただ眺めてた。

居場所がなくてさ、そうやって夜をふかして、朝を迎えてから部屋に帰る。そんな毎日。

あったかい缶コーヒーと、ぼんやり浮かび上がる街の光が友達だった。

大切な人も自分の不甲斐なさで傷つけたし、気がついたら手にしたはずのものを全て失ってた。

 

それからは、けっこう必死だったよ。

髪型も変えて、リクルートスーツ着て、自己啓発本を読んで、頭を下げて、歩き方まで変えて。

そうやって、なんとか遅れてきたメンバーとして、ドアを一生懸命ノックして社会に入ったんだ。

 

その頃は、ホント自信なんてこれっぽっちもなくて、

いつも誰かに、自分が空っぽなのを悟られてしまわないかって、冷や冷やしてた。

実際、暑くもない季節に変な汗を良くかいて、笑われてたんだ。

(今だから笑える話だけど、あれは冷や汗ってやつだったな、まちがいなく。。)

 

だから人一倍、熱心に仕事をした。

全部忘れてしまいたかったから、その頃の自分にとっては、忙しいことが好都合だったんだよね。

夜遅くまで残って、朝早く仕事にいって、合間に勉強してね、なんとか周囲に追いつこうと必死だった。

そんなこんなで、社会に何とか入れたんだけど、

やっぱりいつわりの姿で、本当の自分を隠してたからさ、何年か経った時には、また同じ状態になってた。

あの疑問っていうか、心の声が聴こえてきて、また歩き出せなくなってしまった。

 

 

「自分って誰だったっけ?」

「何がしたかったんだっけ?」ってね。

 

 

結構前に進んだつもりだったのに、何にも変わってなかったんだ。

真ん中が空っぽだった。

そつなく仕事をこなすことや、誰かに合わせて笑顔を作ることや、

「自己実現」みたいな言葉や、人に合わせるそれっぽいことは知っていても、

実際のところ、自分が何がしたいのかもわからないし、何が好きなのかもわからなくなってた。

自分の気持ちを、完全に見失ってた。

 

 

転機、というか、今の自分につながる自分が

その着ぐるみみたいな殻を破って生まれてきたのは、

3.11の後、なんだよね。

 

 

たくさんの人にとって、そうであったように、自分もまた、あの日を境に意識が変わった。

多分、時間が有限なんだってことを知った時に、

このまま終わりたくないって、細胞レベルで思ったんだと思う。

自分の人生を生きたいっていう衝動。

 

 

そんな中で、ワラをもすがる思いで、ギターをもう一回手に取ったんだ。

 

 

 

スタジオに入ってさ、もう一回CDを作ってみた。

自分の力で、もう一回、何かを形にしてみたかったんだろうね。

だいぶ時間が経ってたから、なかなかうまく弾けなかったし、

ボロボロな出来だったんだけど、それでもなんだか少しホッとしたよね。

ちょっとでも、自分の気持ちを受け止めてあげられた気がしてさ。

そうやってできた音源のために、せっかくだからジャケット用の絵を描いてみようかなって、思ったんだ。

 

 

それまでは、絵をちゃんと描いたことなんてなかったから、

本当に偶然なんだよね。

なんとなく描いてみようかなって

その時、そんな気まぐれな風が吹いたんだ。

 

結局、その時の音源は誰にも聴かれることなく、お蔵入りになり、どこかに行ってしまったんだけど、

その代りに、偶然の神さまは、絵という表現方法を自分にくれた。

 

その一枚の絵から、夢中で絵を描いていたら、

あっという間に3年経ってしまった。

振りかえったら、本当にそんな感じ。

絵を描きたいっていう衝動が抑えられなくてさ、それから日常の全てが絵を描くことに向かってた。

それはせきとめていた感情の蛇口が、開いてしまったような感覚。

 

自分はさ、どっちかっていうとモノクロの写真とか、そういうのが好きだったから、

自分の中からカラフルな色が出てきたことにも、最初は驚いてた。

でもそれを止められないっていうか、自分の中から出てくる世界にただただ驚いてた。

 

気がついたら、ご飯を食べる時間すら惜しんで、自由になる時間を全てつぎ込んでた。

クレイジーだよね。多分、普通に外から見たら、心配される感じだったと思うよ。

 

でもね、その時、ようやく出会えた気がしたんだ、本当の自分に。

 

 

それが今の自分につながる、スタート地点、なんだ。

 

 

まー、だからどうしたってオチもないんだけど、

(だって、今そこから始まった旅の真っ最中だからさ)

失敗も含めて、自分のこと知っていただけたら嬉しいなって、

もしもそれが、誰かの何かの役に立てれば嬉しいなって、そんな感じで、

すんごい長文になってしまったんだけど、

ここに始まりの地点の記憶を、記しておきます。

 

 

ここまで読んでくださった方、本当にありがとう!

 

2015/12/16 motocchi

 

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