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2017-06-19

ありのままの自分で

 

最近とても面白い映画を見ました。

「ナオト・インティライミ冒険記〜旅歌ダイアリー〜」って言う映画。

歌手のナオト・インティライミさんが、アフリカとか南米とかを旅するって言うドキュメンタリーなんですけど、個人的にとても印象的なシーンがあって、グーとグーで拳をお互いにぶつける「挨拶」って知ってます?あれをナオト・インティライミさんが、映画の中でアフリカの路上で座っているおじさんとやるんです。

その時におじさんに「違う、スリータイムズだ。」って言われるんです。

3回拳をぶつけ合うんだよって。

1回めは上から、2回めは下から、3回目は正面から、トントントンって。「お前の上でもないし、下でもない、お前のとなりにいるぜ」って意味だって、おじさんは「挨拶」しながら言ってて、見ていた自分は「あー、そう言う意味だったんだーっ!」と。

音楽やっている人で、たまにあの「挨拶」をやってくる人がいて、今までなんとなく合わせて拳をぶつけてたりしたんですけど、そういう意味があるんだってことを初めて知りました。

とてもいい「挨拶」だなーって。

世界はひとつじゃなくて、たくさんある。

この映画のシーンを見ていて、ふっと何年か前のことを思い出しました。

その頃の自分は、初対面の人と話をする時、必要以上にへりくだってしまったり、必要以上に相手に合わせてしまったりして、なかなか気持ちいいコミュニケーションがとれなくて悩んでいました。小さな頃はそうじゃなかったはずなのに、大人になっていく過程で、いつからか会話の中で自分を出して、相手と心を通わせるタイミングが分からなくなってしまって、新しい友達を作ることができなくなっていたんですよね。

多分それは、無意識に他人にラベルを貼って上下関係で見てしまう、そういう態度みたいなものが、大人になって行く過程でいつの間にか作り上げられてしまって、自分の心をむしばんでいたんだと思うんですけど、まー、その頃の気持ちは暗かった。

 

そんな自分に変わるきっかけを与えてくれたのは、旅でした。

自分は社会人になってから、気が向いたらバックパックに荷物を詰めて、自分の知らない場所に一人旅をするようになったんですけど、旅はそれまでの価値観を変えてくれました。

一人旅に出るまで、「あなたはどんな人なの?」って聞かれたら、「こういう会社に勤めています。こういう仕事をしています。こういう趣味があります。家族構成はこうです。etc…」みたいな、まるでカタログに載っている商品みたいに自己紹介をしていた気がします。

人間にラベルが貼られていて、そのラベルについて話しをしているような感じ。

 

でも、旅先にはそういうラベルは持っていけないんですよね。

旅先で出会う人たちには、いろんな年齢の人がいるし国籍だって色々だから、そういうラベルにはそもそも意味がないし、そういうラベルを全部取っ払ったところで、ちょっと大げさに言ったら「ひとりの人間として相手と向き合う」っていうことを、自然にせざるを得なくなるんだと思うんです。

それがね、気持ち良かったんです。

ほんと心の中を、気持ちいい風が吹き抜けていくような感覚だった。

 

「どこから来たの?」「台湾だよ。」

「休暇の度に、自転車で日本を横断しているんだ。何回かに分けてね。今回は京都まで行くよ。」

 

「どこから来たの?」「オーストラリアだよ。」

「美味しいものをたくさん食べに来たんだ、鮨とか天ぷらとか」

「ところで晩御飯食べた?」「まだだよ」

「一緒にその辺でお店探さないかい?」

 

「朝陽が見れるスポット知ってる?」

「昼間海岸歩いたんだけど、多分あそこから見えると思うよ」

「よかったら起こしてくれない?朝弱いんだ」

「良いよー。じゃ、明日の5時にね」

 

もしかしたらそういうのが普通な人には、普通な話なのかもしれないんですけど、ステレオタイプと偏見でガッチガチだったその頃の自分には、初めて会った人とこんな風に会話できるってことが、目からウロコでした。

当たり前なんですけど、どの場所にも積極的にコミュニケーションとってくる人もいれば、打ち解けるまでに時間がかかる人もいるし、愛想の良い人もいればそうじゃない人もいるし、同じ一人の中でも、オープンな気分の時間もあれば、一人でいたいんだろうなって時間もあるし、本当に100人いたら100通りの性格があるんだなーって。旅先でいろんな人の価値観に出会って、あー世界はひとつじゃないんだなって。人間の数だけ世界があるってことを実感できたんですよね。その中で変に気を使いすぎる必要もなくて、自分は自分であればいいんだって。それで楽しくコミュニケーションできるんだなってことを知りました。

 

 

ありのままの姿で

長々と書いて来てしまったんですけど、やっぱり思うのは、変に自分を作って人と付き合う必要なんてないんだってこと。あの映画の中に出て来た「挨拶」のスタンスで、相手の上でも下でもなくて隣から声をかけたらいいんだって思います。

多分ね、それができなくなってしまうのは、教育とか社会環境とかいろんな要因があるんだと思うんです。色メガネをいつの間にかかけてしまう。でもそれを外すことも、大人になったら自分の意思でできるんだと思うんです。

必要以上に自分を大きく見せる必要もないし、小さく見せる必要もなくて、ただありのままの自分で相手と向かいあったら、きっと楽しい時間がはじまる。そう思うんですよね。

ということで、さっそく、あの「挨拶」を日常に取り入れようっと。

今日もあなたの1/365のストーリーが輝きますように。

▶︎過去記事【迷信を乗り越えて】


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コメント2件

  • エンジェライト より:

    ありのままのすがたで の
    優しい言葉に がちがちな 私にあった要らないものたちが すっーと どこかにo(*≧∀≦)ノ

    不思議~(*^^*)

    心地いい 絵  色  言葉❤

    いつも ありがとうございます。

    • motocchi より:

      エンジェライトさん
      こちらこそ、いつもありがとうございます
      そんな風に言っていただけて、とてもうれしいです!

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